ひとつよしなに。

愛知県在住のテレビっ子おじさんが色々言うブログ

「表現する」という事

前回の更新が1年2カ月ぶりなのに対して今回の更新はそこそこ早めという事はそうです、ちょっと図に乗っています。嘘ですw

 

有難い事に前回の更新が100PVを越えるという休眠状態だった零細個人ブログにとっては余りにも嬉しい結果となりました。簡単に言うと「30過ぎのおじさんが恋愛対象ではないと分かってはいる好きな女性に彼氏が出来たのを知って祝福したいけど悶々としているブログ」を100人とはいかないまでもその半分50人近くの方に見て頂いたと思うと、恥ずかしいと思う反面熱を持って書いた甲斐があったな、と思う次第です。

リアクション又は感想まだまだお待ちしてます。(図々しいわw)

 

さて、タイトルの件ですが。

自分が何かを表現したい時は基本的に「喋る」事が圧倒的に多いです。しかしこれは比較的密に接する人には有効なのですが握手会の様な短い時間で切り上げられる場合は至極不利だったりします。それにいざ言おうとした事も何かしらのトラブルで飛ぶ事だってざらにある訳です。なので最近は「書く」事も始めました。

 

Instagramで #朝から衛藤美彩の愛を叫ぶ というのを勝手にやっています。

これは毎朝7時頃、その前日にあった衛藤美彩さんのインスタの更新の内容や今の舞台の事を関連付けて、衛藤さんへの愛をただ叫ぶという気持ちの悪い物となっていますw

これをやる様になってから1日の中で衛藤さんの事を考える時間が俄然増えて来ているので、何だったら今が自分の中で衛藤さんへの熱が高い時期かもしれません。一応ご本人から「頼むから恥ずかしいのでやめてくれ」的なリアクションがあるまでは続けていこうとは思いますw

 

そしてはてなを再開させたのも、衛藤さんの事を考えてどうにもならず、TwitterInstagramではこの熱は排熱し切れんぞと判断した結果、長文に関してははてなに頑張ってもらおうという結果になりました。

 

さて、私の話はここまでとして、ここからが本題です。

私の友達にハシモトナオという男がいます。

彼は現在地元九州で働きながら趣味として絵を描いていますが、少し前までは東京でその関係の仕事をしていました。

自分よりも10以上も年下ながら彼の画力、デザイン力、物事の考察力、どんな物も貪欲に学ぼうとする吸収力には尊敬の念さえ抱いています。

そんな彼ですが、先日とあるイラストをTwitterにアップしました。

簡単に言うと普段仲間内で喋っていた想像をイラスト化したもので、自分も初めて見た時

「あ、描いたんだ」という位の感じ方でした。

しかし彼のFFさんにこのイラストの表現を好まない方が見えて、彼はその人を知らずに傷つけてしまった事に罪の意識を感じ、自戒としてTwitter上に上げた全てのイラストのツイートを削除しました。

彼なりに悩んだのでしょう。そして彼の中で自戒と贖罪がそれしか思い浮かばなかったのでしょう。

 

表現する事とは、「誰かと楽しむもの」であり、「時に誰かを傷つけてしまうもの」である事を彼を通じて自分も改めて学びました。

 

因みにこのブログのアイコンは彼が描いてくれた写真集「話を聞こうか?」の時の自分が1番好きなカットで、いっときこのイラストをTwitterのアイコンにしていました。自分は彼のイラストのお陰でTwitterを開くのが楽しみになりました。

 

自戒でも贖罪でもいい。でも自分を責め過ぎないで。気持ちが落ち着いたら好きにやればいい。こっちは待ちわびるでもなくぼんやりしてて、ある日突然俺のTLに君のイラストが流れて来たら君の所に「おかえり」を言いに行くから。